社会主義時代の建築について
社会主義時代の建築の説明の詳細として、下記に「ウィキペディア」からの一文を引用します。
社会主義リアリズムの表現の1つであり、社会主義の発展と革命の達成を、装飾的で権威的な新古典主義の建築様式で表現し、労働者を鼓舞することを狙ったものとされる。
スターリン時代のソ連の他の芸術分野同様、建築も「共産主義を理想的な社会秩序として賛美する」ために貢献するよう位置づけられ、文学者や音楽家ほど劇的な再編はなかったものの、建築家も国家の管理下におかれるようになった。
1932年4月23日、ソ連共産党中央委員会は『文学および芸術に関する組織の構造改革について』と題する文書を採決し、芸術家が自主的に作った組織は違法となった。
建築家たちの組織も、共産党が「実を結ぶ、創造的で、正しい」建築について決定できるような統一組織へと一本化を迫られた。
1932年7月までに、建築家の集団や組織は全て廃止され、政府が資金を出す会員組織であり建築に関する検閲を行う「ソビエト建築家組合」が設立された。
翌1933年にはソビエト建築アカデミーが創立され、これがスターリン建築の時代の始まりとなった。
アカデミー創設の年である1933年、ソビエト宮殿(1931年に建築計画が発表され、その敷地にあった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月に爆破解体された)の建築設計競技(コンペ)が行われたが、ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルゾーンといったモダニズム建築家の案を抑え一等に輝いたのはボリス・イオファンの案であり、バベルの塔や天へ登る梯子の形を思わせる装飾的で権威的な外観で、頂上に高さ100mのレーニン像を掲げた415mの世界一の超高層ビルであった。
これはソビエトがアヴァンギャルドやモダニズムを重視したウラジミール・レーニンの時代から古典へ回帰するスターリンの時代への転換点となった。
この宮殿はスターリン様式の模範となったが、建設は難航し1950年代に中止された。
党の建築に関する方針は文学者・美術家・音楽家に対するほど明確ではなかったため、最初の数年は建築家にとって混乱と困難の時期となった。ソビエト初期の、ロシア革命に刺激を受けた創造的でアヴァンギャルドな建築(特に構造主義建築)などに代わり、ソ連の建築家はそれ以前の古い建築に規範を求めるようになった。
モダニズム建築はスターリンらから「ブルジョア的で堕落している」と判断されたため一掃され、建築における社会主義リアリズムの表現に最適なものとして19世紀のネオ・ルネサンス様式や、18世紀の新古典主義建築、その後期の帝政様式、あるいはゴシック建築などを選択した。
その結果、ウェディングケーキのような上に向かって細くなりながら伸びて行く建築が氾濫した。
第二次世界大戦の間は建築事業自体が中断したが、古典主義的スターリン様式の時代は1940年代末から1950年代初期に最盛期を迎えた。
古典主義的スターリン様式の中で最も印象的な例は、モスクワの全ソビエト農業展示会(現・全ロシア博覧センター)のパビリオン群、モスクワ地下鉄の初期の駅構内、モスクワの七つの超高層建築「セブンシスターズ」、ポーランド・ワルシャワの文化科学宮殿、その他ソ連や東側諸国の各地の大都市に建てられた高層アパートや政府庁舎などである。この時期の代表的な建築家にレフ・ルドネフがいる。
スターリンの死から2年後の1955年にソビエト建築アカデミーは解体され、スターリン様式は急速に収束した。
しかしソ連崩壊後のロシアでは、ネオ・スターリン様式ともいうべき、スターリン様式を引用した建築も作られている。
代表的なものは、57階建て、高さ264mでヨーロッパ一の高さを誇る超高層ビル「トライアンフ・パレス」(2003年竣工、主な用途は高級マンション)で、スターリンゴシックの外観を引用していることから「セブンシスターズ」に次ぐ「八番目の姉妹」とも称されている。
ソビエト時代の建築物を語るときに、2つの流れを捉えておくとわかりやすいです。
1つは本サイトで紹介している「スターリン様式建築」。
もうひとつは、アヴァンギャルド建築。
両方とも、ソビエトという時代を象徴する建築スタイルですが、中身はまったく違います。
1920年最盛期を誇ったのが、アヴァンギャルド建築。
「構成主義」と言われています。
建築の構成美、空間の美、装飾に頼らない美といったスタイルが幅広い支持を得て、広がりを見せました。
これは、ロシア構成主義を代表するラジミール・タトリンが設計した第三インターナショナル記念塔。
実際に建築はされませんでしたが、構成主義・アヴァンギャルド建築を象徴する作品として有名です。
しかし、スターリンが台頭すると、その流れが変わります。
スターリンは、アヴァンギャルド建築には「時代を超越するモニュメンタル性」が欠けているとして、クラシカル的な方向に意味づけを求めるようになりました。
クラシカルなもので、威厳性、象徴性を演出するということです。
その象徴となったのが、「スターリン様式建築」です。
スターリンの死後は、フルシチョフがスターリンの個人崇拝を否定。
建築の世界でもまた新たなソビエトスタイルの流れが生まれていきます。
モスクワの街を歩いていると、「スターリン様式建築」だけでなく、アヴァンギャルド建築、フルシチョフ建築物も数多く残っております。
ロシアのホワイトハウス(ロシア連邦政府ビル)は、スターリン死後の70年代を代表する建築物ですね。
ロシア時代から建築物とあわせ、時代の流れを建築物で実感することができます。
下の写真は、セブンシスターズのひとつ「レニングラードホテル」の最寄り駅である「クラースヌイ・ヴォロータ駅」周辺は、そのソビエト時代の流れを体感できる場所です。
「クラースヌイ・ヴォロータ駅」の出口ファサード、ロシア連邦農業省は、ロシア構成主義時代の名作。
このようなロシア・ソビエトの建築物については、下記の書籍「ロシア建築案内(リシャット・、ムラギルディン著)」に詳しく記載されています。
とても充実している良書です。