「旅」と「デジタル機器」の親和性についてわかりやすく書かれている「ハビビな人々―アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法」について書いてみたいと思います。
「ハビビ」って何?
「ハビビ」とは、アラビア語で「最愛の人」「仲のいい関係」という意味だそうである。
この本は、アジア、中東(イスラム)に住む「ハビビ」な人々をテーマに書かれた本である。
副題にある通り、この「ハビビ」な人々は、「お金がなくても人生を楽しむ」方法を知っている人々なのである。
その秘訣が書かれているのが本書である。
序文に書かれている著者の中山茂大氏の疑問について、私も同じことを感じていました。
引用します。
日本はアジアの途上国と比べれば、まさにパラダイスだ。ネパールで出会った青年が、いみじくも私に向ってこう言ったのものだ。
「オマエが日本に生まれたのは、ホントにホントにホントにホントに、ものすごくラッキーなことなんだぞ!」
しかし、である。
私が今まで見聞してきたアジアの人々は、まったく愉快に暮らしているのである。ある意味では日本人以上に。
もちろん「シアワセ」には様々な尺度がある。金銭的には圧倒的に日本人のほうが裕福だ。「ウサギ小屋」と言われている日本人一般の住宅事情も、たとえばタイやフィリピンの貧困家庭が、三家族で3DKに住んでいたりするのと比べれば、十分シアワセと言えるだろう。しかしそんなことでは測れない「なにか」があるのである。
日本人に圧倒的に欠けているとしか思えない「なにか」。
そして、アジアの人々を、たとえ金がなくてもシアワセにしてしまう「なにか」。
その「なにか」について考えてみたのが、この本である。
そして、そのカギとなるエピソードとしてこう書かれている。
アジア、イスラム圏のアチコチで出会ったのは、まことに愉快で「ノーテンキ」な連中ばかりであった。いつも非常に楽観的で、軽口を飛ばし、難しいことは考えず、常に刹那的で、気のあった幼なじみと面白おかしく暮らしている。彼らのポケットには、おそらく数十円とか数百円しか入っていない。しかしその乏しい小遣いをはたいて、彼らは私にコーラをおごってくれた。
一般の日本人ならどうだろう。ただでさえ少ない小遣いを、見ず知らずの外国人のために費やしてしまうだろうか?私ならしない。おそらく多くの読者のしないだろう。
しかし、彼らは「する」のである。
おそらくそこに、「なにか」のカギがありそうである。
どうですか?
私はこれを読んで「そうそう!」と大きく頷きました。
私がトルクメニスタンに旅行に行ったときにもそんなことがありました。
それほど裕福でないワイン農家にお邪魔したとき、彼らはふんだんの料理やフルーツ、お酒を出してきてもてなしてくれました。
私にそんなことしても彼らには何もメリットがない。
自分たちの食べる分が減るだけである。
でも、彼らは実に当たり前のようにそういうことをするのである。
そして、そういう行為に無理がないのである。
当時のトルクメニスタンは、ニヤゾフ大統領の独裁政権時。
でも、そんな政治などとは関係なく、実に幸せそうに生きていた。
美味しいメロンを食べ、ワインを飲み、肉を食べ、家族や仲間とワイワイ助け合って暮らす。
お金をたくさん稼がなければ幸せになれないと思っている自分。
お金のことに不安を感じず、貧乏でも楽しく幸せに暮らしている彼ら。
なんか滑稽ですよね。
「お金」というもの、「幸せ」ということ、人生には何が大切なのか、といったことについて強烈に感じた体験が、本書を読んで一気によみがえってきました。
じゃあ「ハビビ」がいいのか?
そんな日本人とは真逆で自由さを感じさせる「ハビビ」な人々のライフスタイルを真似しようということを本書はいっているのだろうか。
そんなことはありません。
本書では、彼らの別の面もきちんと書いています。
嘘つきで、ずる賢く、ボッタくりが多く、汚職が蔓延している・・・
そういったこと全てひっくるめて「ハビビ」な人々ということ。
私たち日本人は、「ハビビ」な人々にはなれない。
でも、自分たちに足りない何かを彼らの中から見つけて取り入れることは可能である。
その「なにか」は受け取る人によって違うと思う。
「お金」を稼ぐといったこと、人生とは何かといった大きな悩みにぶつかった時、こういう全く違った世界や文化のライフスタイルの本を読んでみるのもいいでしょう。
ふり幅が大きいほどインパクトも大きい。
成功法則本や心理学といったものとは全く違うアプローチなので、新たな気づきがあるかもしれません。