ソビエトが崩壊してから約25年。
ロシア国内の消耗品は、すっかり西側の商品に切り替わってしまった。
その時代の波に、抵抗できずに飲みこまれているのが『ロシア車』だ。
競争力を失い、全く街で存在感がなくなった『ロシア車』。
あの力強かったソビエト時代を思わせる無骨なデザインの車たちが、どんどん街から消えているのだ。
ということで、今日は『ロシア車』が元気だったころの時代の旧車を懐かしんでみたいと思います。
目次
ロシアに自動車メーカーってあるの?
あなたは、「ロシアの自動車メーカーって知っている?」と聞かれて答えられますか?
ほぼ答えられる人はいないのではないかともいます。
(知っていたら相当なマニア)
私の知る限り、ロシアの自動車メーカーは以下の6社。
AvtoVAZ(アフトワズ・АвтоВАЗ)
公式ホームページ:http://www.lada.ru/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9
GAZ(ガズ・ГАЗ)
公式ホームページ:http://gazgroup.ru/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/GAZ
Moskvitch(モスクヴィッチ・Москвич)
→AZLK(АЗЛК)へ改名・民営化するも倒産
公式ホームページ:http://www.azlk.ru/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81
ウィキペディア:https://en.wikipedia.org/wiki/AZLK
KAMAZ(カマズ・КАМАЗ)
公式ホームページ:http://kamaz.ru/en/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/KAMAZ
UAZ(ワズ・УАЗ)
公式ホームページ:http://www.uralaz.ru/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/UAZ
ZIL(ジル・ЗИЛ)
公式ホームページ:http://www.amo-zil.ru/
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
1991年にソビエトが崩壊してから各メーカー民営化されましたが、競争力がないために合併したり、倒産したり、西側の自動車メーカーと合弁したりと、紆余曲折を経てなんとか生き延びています。
ロシアの旧車を見てみよう!
それでは、ソビエト時代からロシア崩壊、2000年初頭までバリバリ走っていたロシアの旧車を見ていきたいと思います!
(写真は、私の個人所有のものと「ウィキペディア」から引用しています)
ジグリ&ラーダ
大衆車の代表『ジグリ(Zhiguli・Жигули)』。
「AvtoVAZ」社製造の車です。
国内向けを「ジグリ」、海外向けを「ラーダ(Lada・ЛАДА)」と分けていましたが、のちに統一。
イタリア・フィアット社の技術が入っています。
→ウィキペディア
こちらは、丸目ライトの「2101」という1号モデル。
1970年生産開始。
こちらが、丸目4灯の「2103」というモデル。
1973年生産開始。
こちらが「2105」という5型。
このタイプが一番出回ったのではないかなと思います。
1980年生産開始。
角目が箱スカをほうふつとさせます。
ニーヴァ
『ニーヴァ(Niva・Нива)』は、「ラーダ」の派生車種。
4輪駆動車です。
1977年生産開始。
日本にも輸入されていました。
日本での「スズキ・ジムニー」みたいな存在でしょうか。
⇒ウィキペディア
実はいまでもこのデザインを採用したモデルが継続販売されているようです(中身は「GMシボレー」)。
(日本にも代理店経由で輸入されているようです)
ヴォルガ
『ヴォルガ(Volga・Волга)』は、「GAZ」社が生産していた大型車。
これが「21」というモデル。
一番古いタイプです。
1956年生産開始。
アメリカングラフティ時代のアメ車をほうふつとさせますね。
これが「24」というモデル。
1967年生産開始。
かなりフラットなデザインになりました。
これが「3102」というモデル。
1981年生産開始。
この「3102」形のデザインのタイプが一番出回ったのではないかなと思います。
これが「31029」。
ピアース・ブロスナン主演の007シリーズ第17弾「ゴールデンアイ」でも出てきますね。
これはもう新しい「3111」というモデル。
チャイカ
『チャイカ(Чайка)』は、「GAZ」社が生産していた超高級大型車。
この車はおもに党幹部が乗る車でした。
「チャイカ」というのは、ロシア語で「かもめ」という意味です。
なかなかお目にかかれない車で、私も3回くらいしか目にしていません。
これが「13」というモデル。
1959年生産開始。
これが「14」というモデル。
1959年生産開始。
あとは名前がわからないけどレトロな旧車の写真などをを並べておきます。
「ロシア車」について思うこと
いかがでしたか?
往年のロシア車は。
時代的には冷戦時代も含まれますね。
この時代のロシアの車の特徴は、パーツや構成が「シンプル」だということ。
日本車やドイツ車のように、あまり電子部品を使っていない。
だから、壊れても自分で修理ができる。
何十年にもわたって大量に生産されているから、パーツにも困らない。
商品ライフサイクルの長さがメリットになっています。
だけど壊れやすい(^_^;
だから、ロシアの男たちは、みんな車の修理が当たり前のようにできた。
道路に車を止めて、ボンネットを開いて修理している光景は当たり前でした。
そんな光景も、モスクワやサンクトペテルブルクではもう見られません。
地方都市では、まだ見れるかな。
なくなりつつある光景です。
宇宙にロケット飛ばしたり、宇宙ステーションを作るロシアが、なんでこんな低性能な車を作っているのか不思議でしょうがありませんでした。
ですが、それはロケットを飛ばすことと「思想」という部分でいっしょでした。
前述した「商品ライフサイクルの長さ」です。
シンプルで丈夫。
壊れてもなおせる。
たった1つの電子部品の故障で、全部が動かなくなってしまい自分で手に負えなくなる車より、最新でも最速でもないけど、丈夫で長持ち、自分で修理が可能な車。
この「思想」が、ロシアの宇宙開発にも生きていますね。
ロケットや宇宙ステーションが、アメリカより古い設計でも今も稼働しています。
こんな小話(都市伝説)があります。
ボールペンが宇宙で使えないとわかったアメリカNASAが取った行動は、「スペースペン」というボールペンを莫大な費用で開発した。
一方、ソビエトは鉛筆だった。
この小話は、この時代の車にとてもフィットするなあと思います。
ソビエト時代を懐かしむロシア人が多いのと同じように、この時代のロシア車を懐かしむ人も多いです。
私も、あの乗り心地の悪さが今はとても懐かしいですね。
ロシアに行く機会があれば、是非ロシア車を探してみて下さいね。